●保護者が口を出す子どもへの指導
日常の園や学校での出来事ですが、子どもがノートを忘れてきたとします。
そんな時、先生は紙を2〜3枚渡して代用させることもあるし、「そんなことで勉強できるか」と突き放すこともあります。そうしたことは、先生はこの子にどのような指導をすればいいのか判断した上での行動です。
ところが、突き放した時など早速電話がかかってきます。「子どものことだから忘れることだってある。そういう時は隣の組の先生はちゃんと紙をくれるのに、それくらいの配慮をしてもらえないのか。勉強が遅れるではないか」
そのために生じる多少の勉強の遅れよりも、この子にとってもっと大事なことをここで学習させなければ、と判断してそうしたのです。けれども、なかなか分かってもらえません。文句はつけられるし、言いふらされるし。
そんなことが重なるとついに先生も「別に頑なになることもなかろう。紙さえ渡しておけば“行き届いた先生だ”と言ってもらえるのだから」という考えになってきます。そのようにして、確信のあるしつけが園や学校から消えていきます。そのうち、紙を渡すことばかりが行き届いた配慮になり、突き放すことが何か悪いことのような空気が出てきて、園や学校の中にも過保護状態が生まれます。
●確信を持ったしつけ
転んでキズをつくっても、昔の子どもは何も言ってきませんでした。今は違います。「そんなキズくらいなんだ。メンソレでもつけておけ」とでも言うと、妙なことが起こってきます。「いい加減な先生だ。バイ菌でも入ったらどうしてくれるんだ」という騒ぎの元になったりもします。そういう目に遭うと、次の時には先生の方もする必要のないところまで手当てするようになり、子どももすぐ飛んで甘えてきて、自分で身を守ることすら人に任せて、人のせいにする子どもができてきます。
叱るべきだと思ったのに、うるさく文句がついてくると、「また文句がでたら・・・」という不安がでてきて、つい手加減をしてしまいます。叱られないことばかりがいいのではありません。叱らねばならない時に叱られずに済む子どもは不幸です。
親はどうして、こうもいちいちとやかく言うようになってきたのでしょうか。気づいたことを先生に言うことは大切なことです。しかし、じっくりと子どものことをよく考えて言うことが大切ではないでしょうか。
それにしても、先生はどうして親に弱くなったのでしょうか。先生が親の言うことを聞くことは大切なことです。しかし、聞くことと弱くなることは別のことです。親に弱くなると、確信を持ったしつけができないということです。
また、いつの間にか親の声にそって紙を渡すことがいいと思ってしまうようになるというのなら、それは先生の見識不足と言われても仕方ないでしょう。子どもの成長を長い目で見通すことが大切であります。親もじっくり考えるゆとりを持たなければならないし、先生も惑わされないだけの見識を養わなければなりません。確信を持ったしつけが、今ほど望まれている時はないでしょう。 |