2008年9月
褒める
 音楽嫌いにした一言「あんたダメね」でダメージ

これは、昔々のお話です。
私が小学校5年生の時、担任の男の先生に代わって、音楽は女の先生が担当していました、当時の私の家には、ビクターの蓄音機がありました。もちろん手巻きのゼンマイ式です。レコードも随分あったのですが、父親のコレクションばかりで、浪曲・落語・講談ものばかりでした。
ここに童謡のレコードでもあれば、私の音楽の素養も随分変わったのですが、残念ながら1枚もありませんでした。
小学校5年生で習った唱歌では「我は海の子」が一番印象に残っています。それも良い印象ではなく、悪い印象なのです。学校の授業ですから、当然テストがあります。1学期の終わりの頃に学期中に、習った歌を一人ひとり歌わされるのです。なんと、その時歌わされたのが「我は海の子」でした。私は真面目に歌ったつもりでしたが、歌い終わっての先生の表情には哀れみの気分が満ちていました。先生の放たれた批評には毒が仕込まれていました。
「あんたダメね〜」
この言葉が私の音楽に関する打ち込み方を変えたのです。歌を歌うことが楽しくなくなったのです。それ以後、音楽の時間になると憂鬱な気分になり、どんな歌も大きな声で歌うことがありませんでした。

その後、旧制の中学へ進んで2年生の時、東京音楽学校を卒業したばかりの若い女の先生が赴任して、音楽の担当をされました。そして、初めての授業で「さぁ、皆さん、声をそろえて大きな声で楽しく歌いましょう!」と言って、当時、日本中を風靡した誰でも知っている歌、有名歌手・藤山一朗さんの「丘をこえて行こうよ」のピアノ伴奏が流れてきました。生徒たちはあっけにとられて、楽しいリズムに誘われて、元気に歌いました。その時の先生の言葉を今でも忘れません。「あら、この歌にぴったりの軽く元気に歌えましたね。これからが楽しみですわ」という批評でした。私たちはすっかり先生に乗せられてしまったのです。そして、1年間楽しい思いで、だんだんと高尚になり、シューベルトのセレナーデ、ドリゴのセレナーデ、ベートーベンの第九、歓喜の歌などなど、今でもその歌詞が口について出ます。

やはり教える側に依って、その子どもの能力を引き出し伸ばすものであると感じました。教育を成功させるには子どもを褒めなければいけない。後年、私は園長になって、この先生の指導法を自分の方法にしたのは自然でした。言うまでもなく、小学校の音楽の先生に「あんた、ダメね〜」と言われてすっかり音楽を嫌遠した事を教訓にしたわけです。そして、子どもたちの言動を決して否定的にとらえることのないように心がけてきました。

私の園でのキーワードは「叱り2分に褒め8分」でした。いや、「でした」ではなく「です」と言わなければなりません。
園での具体的な事例を紹介します。例えば、トイレのスリッパをきちんと揃えた時、廊下のゴミを拾った時、困っている友達を介助した時などなど、また、絵画、歌、体操がその子なりに少々下手でもできた時など、思いきり大きな声を出して褒めます。そして、小さなリボンをあげます。それに依って、子どもたちは競って善行して、目に見えて成長していくことがわかります。

今回は褒める事、おだてる事について書きましたが、育児を含め、教育の中で厳しく叱ることも必要です。「あんたダメね〜」という言葉は子どもに絶望感を与えるだけで叱ったことにはなっていません。あの時、音楽の先生はなんと言えばよかったのでしょう。考えてください。

柊野保育園 園長 大野緑朗

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